あらすじ
オーケストラにとって指揮者は不可欠のカリスマか、それとも単なる裸の王様か? どんな能力と資質が必要とされるのか? ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボー管弦楽団を舞台に、フルトヴェングラーからカラヤン・小澤をへてゲルギエフまで――巨匠たちの仕事と人間性の秘密に迫る。
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Posted by ブクログ
クラシックミリしらだったけどオケの違いが分かって面白かったです!
知性のかけらのない感想ですが。
ウィーンフィル:楽団員全てが自分の音楽を持っている。
全員の音と合わせることが出来るので、なんなら指揮者不要。
ベルリンフィル:楽団員の音楽の引き出しが多い。どんな指揮者でも合わせられる(言い過ぎ?)何もない指揮者が一番困る。
席次はない。コンマス以外は来た順!
ロイヤル・コンサルトへポー:一国の文化
音色が深い。色彩を音色に変える技術を持っている。
オケからみた指揮者の違いがわかって大変面白かったです。
ここから本の感想というか、そもそもクラシックについて。
日本民謡をメドレーにして管弦楽曲にしたものが日本人に受けないのは仕方のないことじゃないかな。
だって日本には日本独自の楽器があって、それで演奏されているのを知っているから、それをわざわざオケで再現しなくても、ていう気持ちが強かったな、聴いた時。
結局クラシックはヨーロッパの文化から派生してるわけだし、今スタンダードになってるのは帝国時代の名残だからじゃないか…と思っている。
日本独特の笛や太鼓が世界基準になったとき、君達どこまで再現できる?民謡だってその地域の歴史から派生したわけだし。
などと思うわけですよ。
クラシックがアニメやゲームの世界に使われてて嘆く記事も読んだことあるけど(本とは関係ない話)、元々音楽の歴史は宗教から始まってオペラや劇伴とした後音楽として独立したわけだし、それを「高尚なものを(そんなものに)」嘆く必要ないんじゃないかな。今やドラマや映画でも使われてるじゃないか。アニメやゲームを下に見る必要ある?
音楽を楽しむジャンルに高貴も下賤もないよ。
まあこれは学のない人の話なので、曲を深く理解していれば「こんなものに!」と嘆く気持ちもわからなくはない…
Posted by ブクログ
指揮者とコンサートマスターの役割が興味深く書かれていました。
ウィーンフィルのライナーキュッヒル氏、ベルリンフィルの安永徹氏など、トップの奏者が名だたる指揮者とオケとの橋渡しとして両者の落としどころを素早く判断しながらリードしていく姿はプロ中のプロだと。
コンマスは単に技術が上手いだけでなく、人望的にもオケ奏者全体と
つながってなければ困難なポジションとなります。
自己を高め、それ以上にメンバーを包み込む包容力が求められる。
指揮者・コンサートマスターには興味深い1冊です♪
Posted by ブクログ
タイトルからすると硬い技術的な内容が書いているかと思ってしまうが、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、そしてアムステルダム・コンセルトヘボーの3つのオケの約100年に及ぶ歴史を遡るということは偉大な指揮者たちの生々しい実態と音楽のいかなる点が素晴らしかったのかが裏話を豊富に語られていく。実に楽しい。ウィーンではベーム指揮でブラームス第2番の第4楽章の途中に停電になったにも関わらず、暗闇の中で演奏が続き、完了!拍手喝采の中、ベームも上機嫌だったという実話。それほど指揮者が素晴らしかったということか。ウィーンの章ではバーンスタイン、小澤、アバド、ブーレーズ、マゼール…その他にも実に多くの指揮者が登場する。これに対してベルリンはほとんどフルトヴェングラーとカラヤン。フルヴェンがカラヤンを排除しようとしたが、カラヤンが強気の作戦で、終身という条件をベルリンに飲ませたという。カラヤンがフルヴェンとトスカニーニのリハーサル模様を陰で経験することで、2人から学んだということは驚きだった。そしてアムスはメンゲルベルク、ベイヌム、ヨッフム、ハイティンク、シャイーの音楽性の変遷の説明が面白い。この他にも楽しい裏話が満載だった。
Posted by ブクログ
タイトルからして指揮者論なのかな、と思っていたら、著者の思い出も交えたウィーンフィル・ベルリンフィル・コンセルトヘボウの比較論だった。。読み物としてはそれなりに楽しめるかも。