ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
無宗教といわれることの多い日本人。だが、葬儀を行ない、時をさだめて墓参し、礼をつくして先祖を祀るのは、私たちの多くが霊魂の存在を漠然とでも感じているからだろう。葬儀のかたちは古代中国の先祖祭祀に由来する。紀元前二世紀、葬式の原型が儒教によってつくられた。以来二千数百年、儒教・道教・仏教が複雑に絡まりあい、各宗教が「先祖を祀る」という感情に回収されていく。本書では、葬儀と位牌の歴史をたどることによって、民族の死生観を考えてゆく。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
良書。 現代の日本の葬儀や、神社お寺を含む宗教観が、儒教道教仏教の影響が絡み合って日本化されているということを丁寧に書いている。 位牌というのは死者の魂の依代(よりしろ)である。依代は位牌だけでなく、さまざまなものに用いられた。現代でいうところのお墓もそうだし、折口信夫の論文を引き合いに出して語...続きを読むられた、かつて葬列で使われたさまざまな葬具も、依代である説明されている。 依代としての葬具や祭具や仏具が用いられるということは、死者の魂、という存在が大前提であって、昔の人はそれを大真面目で信じていたのだ。いや、信じる以前に当たり前のように畏怖していた。現代人の宗教離れは、単に霊魂の存在を信じれなくなった、というところに根本原因がある。科学万能主義、唯物主義の時代である。 だけれども、私たちは、周りの人の死に接した時に、自分自身が死にかけた時に、未曽有の大災害に見舞われたときに、非情にして理不尽な仕打ちを受けた時に、自分たち人間よりもはるか大きな存在を仮定せざるを得ない。そうしなければ心が折れてやっていけない、そんな時に、霊魂というものがいるのかもしれないと、感じさせられるのである。 さて、この本、とても良書なのだが、随所に書かれるセンチメンタリズムと、中途半端な脱線が少々鼻に突いた。 それでも、霊魂の依代の位牌の生成過程や意義を中心に据えて、儒教、道教、仏教と言う3つの角度からのアプローチ、そして現代的な問題へと、とても有意な構成ですばらしいと思いました。
日本人特有の死生観や日本の仏式葬儀の成り立ちが、平易な言葉で書かれている。わかりやすい。 当たり前にしている事ほど、それが特別なことだと認識しづらいのかなと思う。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
葬儀と日本人 ──位牌の比較宗教史
新刊情報をお知らせします。
菊地章太
フォロー機能について
「ちくま新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
悪魔という救い
エクスタシーの神学 ――キリスト教神秘主義の扉をひらく
儒教・仏教・道教 東アジアの思想空間
日本人とキリスト教の奇妙な関係
魔女とほうきと黒い猫
ユダヤ教 キリスト教 イスラーム ――一神教の連環を解く
妖怪学とは何か 井上円了精選
「菊地章太」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲葬儀と日本人 ──位牌の比較宗教史 ページトップヘ