岡倉天心原文the book oftea 1906年M39米国発表。
日本の茶道を欧米に紹介する目的だったが日清戦争
に続き最強ロシアとの戦争1904-1905にも勝利したことにより本書にも注目が集まる。死の術武士道だけではない生の術茶の道を通じての日本の美意識、東洋的と西洋的思考の違いを。解説で恋多き天心さんを知ることも出来ました。
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2021年07月21日
Posted by ブクログ
岡倉天心(1863(文久2年)~1913年(大正2年)/本名は覚三)は、福井藩士の次男として横浜に生まれ、東大文学部を卒業後、文部省に入り、美術行政を担当する。1886~87年、東京美術学校設立のためにアーネスト・フェノロサと共に欧米を視察し、1890年に東京美術学校(現・東京藝大美術学部)の初代校長に就任。1898年に東京美術学校を排斥され辞職してからは、インド訪遊を経て、1904年以降ボストン美術館の仕事で頻繁に米国に滞在したが、晩年には茨城県五浦に隠遁し、1913年に日本にて永眠。
子どものときから学んだ英語と、優れた国際感覚をもって、日本・東洋の文化を内外に訴え、本書収録の『茶の本』は1906年にフォックス・ダフィールド社(ニューヨーク)から出版された『The Book of Tea』、『東洋の理想』は1903年にジョン・マレー書店(ロンドン)から出版された『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』の、それぞれ邦訳である。中でも『茶の本』は、新渡戸稲造の『武士道』、内村鑑三の『代表的日本人』と並び、明治時代に日本人が英語で日本の文化・思想を発信した作品として夙に有名。
本書では、『茶の本』と『東洋の理想』(序章・終章のみ)の新訳に、訳者による、各章の「解説ノート」と90頁に亘る「エピソードと証言でたどる天心の生涯」が加えられており、作品についての理解を大いに助けてくれている。(角川ソフィア文庫は、岩波文庫や講談社学術文庫に既に収められている作品を新訳で出すものが少なくないが、充実した解説や参考資料が付されていることが多く、とても有用である)
『茶の本』は、1章:茶碗に満ちる人の心、2章:茶の流儀、3章:道教と禅、4章:茶室、5章:芸術鑑賞、6章:花、7章:茶人たち、という章立てとなっており、茶道を、道教、仏教(禅)、建築、華道などの関わりから捉えて、日本の文化・美意識・価値観を幅広く解説しようとしている。
出版後百余年を経て、日本人の我々が読んでも気付かされることが多いが、私が最も心に残ったのは、6章で、「死を栄光とする花」である桜は、「さようなら、春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです」と語りかけながら消えてゆくと語ったあとで、最終章の7章で、「美しく生きてきた者だけが美しく死ぬことができる」のだとして、千利休の最後の茶をとりあげて、「顔に笑みをたたえて利休は未知の世界へと旅立っていった」と締めくくられているところである。茶の達人の生死は、花の生死と等しく、人間と自然は究極的に合一する。。。これこそ、茶(と禅)の心ということであろう。また、死は生の完成であり、至高の芸術であると言え、利休の最期はまさにそうした典型であり、いわば、希代の茶人の最大の「茶事」であるとも言えるのだ。
茶~禅・老荘思想を柱に日本文化の本質を語った、現在でも読む価値の大きい古典である。
(2020年12月了)